kishiken

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沈黙

久しぶり、2度目の鑑賞。沈黙。神の沈黙。祈っても祈っても、奇跡なんか起こらない。悪は猛り狂って、弱き者は目を閉じて、あるものは殺され、あるものは嵐が行き過ぎるのをじっと待つ。僕らの日常もまさにあの神父のようなものかも知れない。なんで、こんなに祈っても神様は何も叶えてくれないんだ。なんで助けてくれないんだ。何度も目をかけてたキチジローは何度も何度も裏切るし。しかし、、救われなかったら、信じないのか。救われるから、信じるのか。御利益があるから、その引き換えに祈るのだろうか?お賽銭は100円より100万円の方が祈りが叶うのだろうか?それは、代償と利益を、祈りと恩恵に差し替えて、人間が勝手に考えているだけなのだろうか?、、分からない。でも、神様っていて欲しいな。と、僕は思っている。人生に起こる、幸も不幸も、災いも糧も、何か人知を超えた大きなものに見つめられているという気持ちがなければ、この先とても生きていける気がしない。。自分1人の力など、塵ほどの力もなく。若い時の過信は雨に降られてさっぱりと流れ去りました。今日は終戦記念日なんですね。この日はいつでも、いのちの盛りにある植物に太陽の落とす影がとても濃く見えます。色んな人の物語の上に今、自分は生きているんだ。いや、生かしてもらっているんだ。と感じます。

寅さん

男はつらいよ。ちょっいと芝居の為、視聴。僕は、昔っから取り留めなくシリーズを何本も観ていますが、最近は中々地上波で放送していない気がして、、借りて来てピンポイントで観ています。あじさいの恋。もうこののっけから、ぷぁーん、ぱらぱらぱん〜という、テーマが流れると、なんて言うのかな。身体の筋肉の力が抜けて。一人で観てても瞬間でもうそこは、下町、とらや。わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又。帝釈天で産湯をつかい。。もうこれが、世界にほこる日本のホームドラマではないだろうか?そこは、2018年のカチカチした、勝ち組負け組みだけの、日本じゃねぇのよ。四角四面の世の中で、みんな必死に生きてるのよ。勝った負けたぁ、それを言っちゃあ、おしめえよ!冒頭で、、寅さんが仁左衛門さんの扮するおじいさんの下駄の鼻緒を替えてあげるんですけど、、恐縮するおじいさんに、なーに、困った時はお互い様よ!って言う。寅さんのこの言葉でね。なんか、うるっと来てしまった私は、、都市生活に疲労しているでしょうか??この回、柄本さんが出てましてね。面白いんですよ。出て来ただけで。いしだあゆみさんも、ほんとすばらしい。このカラッと晴れた日のひまわりではなくて、やはり雨の日に咲くあじさいの女心を瑞々しく体現していらっしゃる。あじさい寺に、寅さんが無理やり光男を連れて行った時の、あの表情!!もう、心の動きがそのまま出てる。って、、よく分からないですよね。みんなで観よう。れっつ、寅さん。高層社会、心に車寅次郎。。。僕は、静岡出身ですが、近くに大きな神社があってね。春、夏と、露店が出てごった返していました。あの、甘いような綿菓子やりんご飴の香り、夜は裸電球と嬌声、人の波の中で、いろんなドラマが交錯してたなぁ。なんだかそんな日本懐かしいですね。

サンドイッチについてのとりとめなき考察。

最近、なぜかサンドイッチにはまっている。私は、普段あまりパンを食べません。嫌いなわけではないんだけど、食べる習慣がなくて、、特に食パン。バター塗って、ジャム塗って、時々食べるんだけどなんか、その手数における満足感の薄さ。から、、だったら卵かけご飯でしょ!と、、食卓にあっても、ついつい、食べない。しかし、このサンドイッチにすると言うおもしろさと、ボリューム感を発見してから、なんだかよく食べるようになった。サンドイッチ。伯爵。。以前、ある女優さんがテレビの食わず嫌いの番組で、太巻きが嫌いだと言っていた。その理由は、何を味わったらいいか分からないから。だった。僕はその理由になんだかすごく納得してしまった。。太巻きは確かにサンドイッチと比べて、具の存在感が強い。ヒーロー的なレンジャーでいくと昔のごっつええ感じであったように、赤が3名、青が2名的で主張しあっている、気がする。確かにそうなると、何をどう味わうのか?分からないと言う、感じはわかる気がする。ま、僕は太巻きは好きですけど。。でも。その、何を味わったらいいか分からないと言う事は、イコール美味しくないのか??これは、僕の思う所、、バイキングに近い気がする。バイキング、、特に夕食豪華バイキング。僕は時々、行かざるおえない事情があって行った時、いつも思うのは。何を食べたか分からない。この満腹感。。それって、とても満足感が薄い。。寿司、ステーキ、スパゲッティ、その一つづつの赤レンジャー的存在をガッツリ食べる。確かに美味い!あの、千と千尋の豚になった、人間達みたいにガツガツ食べる。。しかし、結局、なんだろ。この満腹感と満足感のバランスの悪さ。。この虚空。VOID!ところが、それとサンドイッチの混然となった宇宙は違うんだな。なんというか、混然としていて統一感があり。とんでもないもの入れない限りまぁまぁ美味い。なんでだろ?でも結局、その統一感って、白レンジャー、マヨネーズだったりして。ん、結局それはマヨネーズがすごいという話なのか!?いや、違う。たぶん。おそるべし、伯爵!

恐怖!

この酷暑。。都会から逃げ出したい気持ちを抑えて、今日も都会でこんにちは。ぁあ、、コンクリートジャングル!by specials旅に出たい。。。。いや、行った!!僕は、夏と言いますと、、思い出す恐怖の場所がいくつかありまして。いや、オカルト的な話ではなくて、一つは。海の家のシャワー。なんで、人は開放感を求め、海に行き、なんで、あのシャワーを浴びるのか?いや、今はもう海の家でも相当綺麗になっているとは思いますが、、学生の頃行った、あの岬の、あの人混み。あの海の家、というか海の掘っ立て小屋、シャワー室、ベニア板の間仕切り。砂だらけ。男ギュウギュウ。でも、浴びないと、塩で体かゆいし。行列に並び、浴びても、浴びても、足に砂がべったり。妖怪砂まみれ。もう、全身にジャム塗られて公園の草むらに寝っ転がったら、こういう気持ちになるんだろうか?そのどうしようもない感じに。なんで、俺、海に来ちゃったんだ。。と、人生を反芻し、多くのはしゃぎ過ぎた思い出を懺悔した記憶があります。もう一つは、夏休みの山小屋。あの開放感、登り切った尾根その先に待つ、夜の寝室のギューギューさ。。夏休みの山小屋は夜ギュウギュウで、寝返り打てなくて、となりの人の足が顔の横にある。。逆さで寝たら、、あれま!いっぱい寝られるのね!このマジック、この贅沢さ。プライスレス。。なぜ、人は開放感を求めて、山や海に行って、満員電車のような状態に集合していくのか?ま、これは。結局、施設に頼ってしまうからなんだよね。しかし、もしかして。人がその無意識のうちに人を呼んでいるのか。どこかで、みんなで一緒に休日を楽しみたいという本能があったりして、、たしかに、ライブも一人だったら。。バンドに見つめられて、踊るどころじゃないだろうし、、、そんな時はちょこんと真ん中に立って見るのかな?コールアンドレスポンスを強要されたりして。芝居も、一人で観てたら、緊張して頭に筋書きが入ってこないかもね。。でも、それは贅沢だよなぁ。。人は人から離れられないのか。。いや、離れられるのか。。これは、アドラー心理学にも通づる人の不可知な部分なんでしょうか。